毎度様です。
本日の映画は、三池崇史監督が自由に制作した感がすごい。この映画。
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第137号「極道大戦争」
《極道大戦争 概要》
時は2015年、アメリカのテロ支援国家指定にキューバの名前を取り除く事が正式に決定したこの年、日本を代表する三池崇史監督が、勝手に初心に戻って大暴れ、ということで完成したのがこの極道大戦争。
近年の日本映画では珍しくオリジナル脚本。
主演は市原隼人。
21ヶ国で上映された。
《極道大戦争 物語》
市原隼人演じる影山は、リリー・フランキー演じる神浦に惚れ込み、神浦の組に入る。昔気質の影山は、かたぎい手を出すことをせず、曲がった行いを嫌った極道になっていた。
しかし背中に入れ墨をすることをせず、親分と同じ入れ墨をすることを願っていた。
そんなある日、親分の神浦は影山を一軒の居酒屋に連れて行く。居酒屋の主人法眼は親分に飲ませている血のような飲み物を影山に出すと、影山は外へ出て行って吐いてしまう。
それをみた親分は、あいつも俺と同じになる、と微笑む。
親分の為に働いていた影山だったが、親分の最期が訪れる。
神父の格好をしたアジア系の男と同じくアジア系の秋葉原を探す男が親分の仕切る商店街へ現れ、親分を殺害する。
影山は親分を守ろうとするのだが倒れてしまうのだった。
親分を守れなかった影山が落ち込んでいると、親分の生首は突如喋りだし、影山の首に噛みつくのだった。
そこから悪夢のような物語が幕を開ける。
ー極道大戦争 ネタバレー(ドラッグして見てね)
居酒屋の主人法眼によると、極道吸血鬼であった親分は、居酒屋の地下で極道をかたぎにしては、その血を飲んで生きていた。
血を飲まなければ極道吸血鬼は死んでしまうが、同じ極道の血液では死んでしまう。そこでかたぎの血を吸うのだが、吸われた人間は極道になってしまうというのだ。
信じられないで居る影山だったが、自分が噛みついた人間たちが次々と極道になっていくのを目の当たりにする。
そんな中、親分を失った組では、高島礼子演じる膳場を筆頭に、影山を探し、増えたにわか極道を排除しようとした。しかしその数が多すぎた。
そして居酒屋の地下で親分へ食料をを提供していたかたぎ訓練中の極道たちを発見する。そこへなんとカッパと親分を殺した2人組も現れる。
さらには復活したという着ぐるみを着たKAERU君という謎の人物が集まって、影山への対抗を企む。
その中にあって膳場は頭の中で脳が溶けている、と突然言いだし耳から液体を流す。
アジア系の2人組が最初に影山に向かうも、影山は圧倒的な力で2人を排除、最終兵器としてKAERU君が影山の前に立ちはだかる。
その圧倒的な力に影山の力が覚醒すると、着ぐるみを脱いだKAERU君は、体は人間だが頭はカエルという姿となり、更に影山と戦いを繰り広げる。
そんな時、富士山の麓で巨大なKAERU君が出現、商店街へと向かい、戦いに勝利した影山は商店街を襲う巨大蛙と対峙するのだった。
《極道大戦争 感想》
あるネット映画レビューで三池崇史監督は2本に1本は駄作を作る、表現されていることがあったが、その駄作と分類される作品が極道大戦争なのかも。
しかし三池崇史ファンとしては、これもまた監督の作品としては有りだと思えた。
三池崇史監督は、監督を仕事にしている監督だと筆者は個人的に思っており、依頼されればどんな映画でも撮影できる監督だ。
その監督の表現方法として「暴力」がある。以前にも当ブログで紹介した「インプリント~ぼっけぇ、きょうてえ~」のように暴力が行きすぎて上映できなるなる作品もある。
日本においても「殺し屋1」のように、R18指定の映画を撮影できるほどだ。
またそうした映画の特徴を備えた「IZO」など当時の芸能界の重鎮ばかりをキャスティングした、二度と実現困難、と言われる映画もある。
今回の映画もまた、ある種、無意味に豪華なキャスティングである。そして脚本は良い意味で馬鹿馬鹿しい。
おそらく三池崇史監督の「妖怪大戦争」のパロディなのだと思うが、カッパが出てきたり、ゆるキャラのようなボスが出てきて、最後にはチープな特撮である。
なんとも馬鹿馬鹿しいのだが、三池崇史監督らしさがあって、ファンとしては面白かった。
ただいつも思うことなのだが、監督の映画は説明不足な点が多々有り、高島礼子演じる膳場の意味が不明だったのが未だに引っかかる。
本日の映画レビューはこういったところだろうか。
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